昨夜の夢は

叔父(父の弟)。その叔父を背負っている。息が苦しそうになり、Tシャツの右肩が叔父の涎で濡れたと思ったら、ほどなく肩越しに吐いた。背中から降ろしたら、もっと大量に吐いた。醤油のかかった鰹の削り節のようなものが、大きな四角い固まりで、どんどこ口から出てくるのには驚いた。道路脇に傾斜をつけて拵えた排水溝が1メートルくらいにわたって吐瀉物で盛り上がり、下水管への入り口もそれで埋まった。叔父の大きな背中をさすりながら「はっきり言って食べ過ぎ」と私は声に出して言った。それから、「六十代も後半でよくもこれだけ食べられたものだ。呆れるというか、これほどまでだと、もう感心してしまう。」と、これは思っただけだったか。中国に来ていて、3月に試験があり、4月に発表があって、5月にはそれに関する(合格か何かの証明書のような)書類をもらわないといけないところを、たぶんは7月になる今まで、ほったらかしにしていた。それを前日だかに、現地を訪ねていたにもかかわらずもらい損ねていたので、今日改めてその地を訪ねる必要があったのだが、バスの乗り場がわからない。42番(昨夜見たくもなく目にしてしまったTYGのクローザーの背番号がこれと同じ数字だったのを、今これを書きながら思い出した)のバスはこの停留所から出ているのだろうか。駅の案内書にいる人に聞いてみたら、そうだという。切符の買い方を教えてもらって、列に並んで待っているが、バスはなかなか来ない。しびれを切らしてしまって、タクシーで行こうか、ということになり、そのとき、タクシーでの行き帰りなら、20〜30分で用が済むだろうからと、祖父(母の父)だけは街に残ってビールでもひっかけて待っていてもらうことにして、そこにいたもう一人と、どの店にするかを決めようとした。決めたかどうかは覚えていない。しかし乗ったのは叔父のワゴン車で、バスを待っていたのは祖父を含めて3人だったのに、父と弟が後ろに乗っている。運転しているのは叔父で左にハンドルがある。道を間違えたので、「来た道を戻る方が早い」と私が言い、それから叔父は私の指示に従って運転した。幅の狭い道の交差点を曲がるときに赤いクラシックカーとすれ違ったが、なんとか無傷ですんだ。私の指示違いでまた道を間違えたかと思ったが、それは一方通行だったからで、一本先の道を曲がれば元の大通りに戻れるところまで来た。このときすでに父と弟は車を降りて歩いていた。角を左に二回曲がってその大通りに出たときには、私はもう叔父を背負って道路脇の歩道を歩いていた。叔父の腹からシュルシュルというかキュルルというか、そんな音がしていた気もする。それからすぐに電柱の前あたりで、右肩が濡れたのを意識したと思ったら、吐瀉が始まったのだった。その前に祖父の家に連れていって引き合わせないといけないという話があったのを思い出したが、どの時点でのことなのか、はっきりしない。その話では祖父は自宅にいることになっているのだから。祖父が叔父を昔から気に入っていて最近も会いたがっていたからね、という理由が語られていたこともしっかり記憶しているのだが。