朝から竹を

伐る。腕や肩が身入ってしまって、いわゆる筋肉が笑てる状態。しかもギックリが治っていない状態で、きつい傾斜地でやらないといけなかったのが辛かった。娘が手伝ってくれなかったら、まずはできていない仕事。この間の突風で裏の傾斜地の(高さ8メートルは優に超えていただろう)竹が二本ほど根のところから傾き、上部の枝葉が隣の屋根に掛かってしまったというわけ。娘が隣からの指摘を受けて状況を伝えてきたのは旅先で、翌日の夜に家に帰って、翌々日の朝に撤去処理をしたことになる。今回の四国バス旅行は次のようなものだった。


3月21日(土佐・龍馬であい博ツアー1日目)
今回は、旅行会社のパックツアー。旅行は、朝早く「ぎっくり」で始まった。起き抜けに靴下を履こうとして、腰がうまく伸びず、ちょっと危ないなと思ったので、階下に降りてから履くことにして、しかし腰や背中が不安定になるオットマンに座ったのがいけなかったのだろう、腰を下ろして履こうとしたにも拘わらず、腰に激痛が走り、あっと声まで出て、間違いなく「ぎっくり」だとわかった。妻はこれは旅行を止めろという「お告げ」かも知れないとか、心配しながら旅行に行っても面白くないとかいって、どうせ捨てても3万円だから(実際それくらい安いツアーであったのだが)、いっそ中止にしようと言い出すし、私もそれなら私だけ不参加として、妻ひとりで参加してもらうことも考えたのだが、腰の具合を窺っていると、前回のひどい分に比べたら損傷は幾分軽いような気がしたし、何とか参加の方向で準備をしながら妻を説得し、そのうちに妻も一緒に行く気になったようなので予定どおりツアーに参加した。8時15分に大阪は新阪急ホテルの向かい側で集合。ビルの谷間の小さい公園の舗装された広場に据えられた会議テーブルで受付をすませ、寒風が荒ぶなかをしばらくのあいだ案内を待って、冷えた身体をバスへと運ぶ。


高速は湾岸線から神戸を抜けて明石海峡大橋を渡っていったのだが、ひどい黄砂で景色はないも同然、旅先の風光明媚が台無しになるのでは、と前途を危ぶむ。大した渋滞もなくバスは淡路ハイウェイオアシスへ。ここで最初の休憩。30分程度の余裕のある休憩で、これはよくあるてんこ盛りの格安ツアーでないのが幸いしたと思えるサービスで、今回のツアーの評価できる点であった。あらかじめ注文しておいた幕の内弁当が手元に配られると、妻は早速食べたがる。反対側の席のおしゃべりなおばさんはすぐにパクついていたが、まだ10時半である。11時を過ぎたら食べましょうと妻を諭して、私自身は、熊野純彦和辻哲郎』(岩波新書)を読み進める。1000円也の弁当はまずまず。黄砂のなかをひた走るバスは阿南市にある道の駅「公方の郷なかがわ」に到着。美味しそうな野菜や海産物があって気が引かれたが、自家用車でないので、諦める。ゴミ箱がないのに自販機のそばに弁当殻を捨てている人がいて、折りからの強風で千々に散らばっていた。添乗員さんに事情を説明すると弁当殻を引き取ってくれる。今から思いだすと、すでにこのあたりでもう黄砂はかなり少なくなっていたようなのだが、風と日差しの強さのせいか、そのときははっきりとは意識できていなかった。


室戸岬に近づくと海が青くなっているのに気づいた。黄砂は嘘のように消えていた。観光案内所の前の小さな駐車場にバスは止まる。歩いて海岸近くへ降りる。岩また岩の海岸の手前に岬をめぐるようにして遊歩道が設けられている。振り返ると灯台は高台にあることがかろうじて判る。しかし突端に近いとはいえ、ぐるりの眺望が利かず、低いところをただ海を見ながら歩いているせいか、一向にここが岬であるという感じがしない。高いところから眺めてみたい。そんなことを思いながら、気づくと一緒に歩いていたはずの妻が隣にいない。少し戻ってみると、岩陰に立ち止まってメールをしていた。出発時間の直前に公衆トイレの場所を聞いて、行ってみると、そばに何と中岡慎太郎像があるではないか。うっかり見るのを忘れるところだった。妻はついに見ずに終わった。反対側の席のよくしゃべる中年女性は、よく食べる人でもあることを知った。道の駅を出たときには、何とお刺身を買ってバスに持ち込み、それにパクついていたが、今度はソフトクリームを買ってそれを舐めている。そして食べたりしゃべったりしていないときはメールを打っているか、寝ているのだった。


陽がだいぶ傾いた頃、安芸に到着。ボランティアガイドのおじさんが待ってくれていた。とても人がよさそうな老人だったが、あまり時間がないツアー客の事情を考えてまでは喋ってくれない。いや、きっとそうしようとはしてくれているのだが、そのせいでか、よけいに調子が出ないのかも知れない。間違いなく、色んな事をよく知っている人だし、話も面白そうなのに、こういうところにたっぷり時間をとって出かけてこなかった私たちは、彼のような人をまったく活かすことができない。野良時計と呼ばれている櫓時計(時計台)は、120年以上もの間、時を刻み続けているのだそうで、そして、しかし最近はちょくちょく止まっていることも多いとか。田の一枚を埋め尽くしている菜の花が斜めからの日射しを受けて美しい。別の畑ではびっしりとレンゲがもう咲いている。子どもの頃によく見たような懐かしい田舎の風景がいまここにある。安芸城下の土居廓中(どいかちゅう)と呼ばれる武家屋敷が並ぶ町を歩き、屋敷跡を訪ねる。


バスでガイドさんと一緒に移動して岩崎弥太郎生家へ着く頃には、あたりは夕暮れて、少し肌寒くなってきた。ここには岩崎弥太郎のそっくりさんボランティアがいた。妻が写真を撮ってもらいたがったので、お願いして隣に並んで記念撮影。こういうところ、妻は偉いなと思う。私などは、どうしても遠慮してしまう。というか、正直、あまり一緒に撮りたいとは思わないのである。庭に植えられた大きな桜は、花がすでに満開であった。国道55号線に出ると大渋滞。ホテルには夕食開始予定時間を越えて着。夕食は7時20分からに変更。久しぶりにサッポロビールをいただく。妻は柚子チューハイ。料理は格安ツアーに似合わず美味しかった。鰹のタタキはもちろんだが、全般的に薄味なのがよかった。お吸い物にミョウガ売店で荷物が重たくならないように留意しながら土産物を物色。味付けの生節やお茶漬けの素など。閉店の9時まであと10分というタイミングで、ラウンジでコーヒーを喫す。600円したが、その価値のあるおいしい珈琲だった。やっぱり挽きたてはうまい。よさこい温泉と称する大浴場露天風呂につかる。風が強く冷たい。たくさんの墨が壁に飾られた部屋で、妻が風呂から戻るのを待ちながら、自販機で買った缶チューハイ、ビールをあける。妻に腰に湿布を貼ってもらって、そののち、たぶん爆睡。あっさりしたものである。


3月22日
朝、腰の痛みのせいで起き上がることがなかなかできなかったが、立ち上がってみると、ごまかしごまかし、どうにかいけそうな気がしてきた。朝食は和洋のバイキング。和食のおかずを一皿にあれこれとアレンジする。素揚げにした茄子と鶏そぼろをゴマ味噌で和えたふうの品がとくに美味しかった。ごはん一杯に、雑炊をお代わり。最後にコーヒー。8時には土佐ロイヤルホテルを出発。玄関前で記念撮影。「豊の梅」の高木酒蔵を見学。純米吟醸「吟の夢仕込」(1500円/720ml)とどちらにしようか迷ったが、旅行の記念ということで試飲したときにピリッと旨さを感じた大吟醸原酒「鴬寿」(2500円/720ml)のほうをゲット。その後「鰹船」というところに寄る。それは想像していたような鰹釣り魚船ではなかった。道路沿いにある、廃船を利用した?(外観だけ?)土産物屋さんであった。生節を作る工程も見ることができた。妻は、その重さのせいで、それまでに迷いに迷っていた文旦をついに購入(これが帰ってきて食べてみたら、マジで美味かったのは嬉しかった)。


そこからバスは桂浜へ。渋滞どころか駐車できないことまで予想して、訪ねる順序を変えたのが成功したようで、実際ここから出発して高知へ向かう道の反対車線では、まだ午前中だったとはいえ、猛烈な渋滞が始まっていたのだった。駐車場でバスを降りた私たちの桂浜は、まずは階段50段を登って見上げる龍馬像から始まった。そして階段を降りて浜に出る。ここで浴びる月光を思い浮かべてみる。遊歩道ができたのはいつ頃なのだろう。龍神を祭る海に突き出た岩上の社に向かう途中で語りかけてきたおじさんとは、要領を得ない質問と回答で終始。それにつけても海という存在、その大きさをあらためて思う。小さいことを忘れさせてくれるというか、些細なことに拘ることなどないと、海はその広がりによって慰めてくれるのだ。開かれている、ということの有り難さ。ここから高知市内にある「土佐・龍馬であい博」のメイン会場に向かう。高知駅前に特設された二つの会場は、撤去のしやすさも考えられたテンポラリーなもので、入場料の要る一つはNHK大河ドラマの解説・宣伝(ここでもボランティアガイドさんがいて、ドラマの史実と違う点を教えてくれていた)が、無料のもう一つは特産品の紹介や販売が、それぞれ主となる展示場であった(ここにも別の、昨日の人よりは少し年配の、岩崎弥太郎のそっくりボランティアさんがいたが、龍馬のそっくりさんはおらず、それでも記念写真に引っ張りだこのキャラクターの着ぐるみ龍馬がいた)。


ひろめ市場というところで昼食。行列のできている店を避けたが、鰹のタタキ(これは新鮮さといい、厚みといい前夜のホテルのタタキとは比べものにならないくらい美味しかった)もホルモン野菜炒め(タレの味は博多を思い出させるものであった)も豚平焼きもウツボの唐揚げ(タタキが名物だそうだが、この店のメニューになかった)も、どれも美味であり、大繁盛の向かいの店に比べると客はその10分の1に達しないほどしかいないのだが、それがどうしてなのかは解らなかった。龍馬の姿が印刷された高額紙幣(偽のお札)を娘のおみやげに購入。出発時間が迫っていたので、高知城は遠目に見ただけで通り過ぎる。お堀そばの桜がやはり満開で綺麗だった。午後1時半、帰路につく。吉野川ハイウェイオアシスで休憩。続いて淡路ハイウェイオアシスで休憩。渋滞が始まる。運転手さんの提言で、バスの車内でビデオ(お笑い編、多くは素人が撮影したホームビデオ)を鑑賞することに。疲れているせいか(そう思いたいだけかも知れないが)、前のおばさんの笑い声につられてか(そう思いたいだけかも知れないが)しょうもないあれこれにバカ笑いする。それまでの旅行の印象が、一瞬にして消し飛んでしまい、腹筋が苦しくなるほどに笑えてしまうところが怖ろしい。うーん、ストレスかかってるんだなあオレ。午後10頃に帰宅。


高知については、たとえばこちら→ http://www.webkochi.net/
ここの「土佐路ぶらり」というページにある「高知出身の偉人・異人」に、坂本龍馬が挙げられていないのが面白い。