月曜日は

年内最終の授業。漢文なり。
老荘思想は、大昔中国で流行ったのも儒教に対する一種の対抗思想としてだったらしいが、それなら現世利益の追求競争が激しい現代社会でも結構うけるかとも思うのだが、エコやロハスの形をとっていたりするものにしても、現実世界に対抗する非現実世界が夢ではなく現実のゲームなどの形になっている場合にしても、結局のところ資本主義に絡めとられていて、対抗というよりは相互補完的なものにしかなっていない気がする。老子の思想は、政治的には退歩主義にしかならないという批判は、すでに若き漱石がしているのだが、嬰児的であることを理想とすること、自己(修身)からはじめて社会(治民)へという方向性をもつこと、それらが政治上に生かされることは、はたしてあるのだろうか。