箱根強羅温泉ツアー

二日目。7時起床。部屋に付いている露天風呂にお湯を張り始める。家族風呂のように、といっても三人同時に入るには浴槽が狭いので、私と妻、妻と娘というように順々に入る。気持ちの良い朝の贅沢。妻は「こういうところに一人で来るのもいいわね」。朝食は8時半過ぎ。10分ほど待たされた後に案内された。和食のフルコース。おかゆ、納豆、温泉玉子は好きなだけ食べられるが、別に注文するかたち。用意されているのは干物の魚としてホッケ、カワハギの二種。卓上の小さな網であぶり直して、これらを食す。みそ汁も大きな鉄鍋で全員分がサーブされ、それをこれも卓上のコンロで温め直して。なので、より美味しくいただけた。他にも定番の小鉢・ミニ小鉢が食べきれないほど沢山並んでいた。満腹を抱えて、昨夜夕食後にも利用した、土産物販売コーナーの隣にある休憩スペースで提供されているコーヒーをいただく。機械が自動で豆を挽いて淹れてくれるのだが、まずまずのお味。旅先ではいつもそうするように、すぐには部屋に戻らず、ラウンジかレセプションのそばにあるレストルームでニオイの残る用を足してから、部屋に戻る。
10時に宿を出発。10時40分箱根関所跡発の芦ノ湖遊覧船に乗る。乗船時間は25分ほど。富士の頂が今日ははっきりと見えた。雪化粧で真っ白になっていた。やはり大きくて高い山である。しかし、カメラの液晶モニタには小さく平たく縮んで収まってしまう。まったく、人間の眼というのは面白いものである。箱根園で下船。11時過ぎから土産物屋を物色し、11時40分からオプションで申し込んでいた釜飯定食の昼食。「ななかまど」というお店。釜飯はジャコとワカメを炊き込んだもので、それにローストビーフその他が付いている。そういえば朝食にも小鉢に入ったそばも、だし巻きも、やっぱり付いていたっけ。間違いなく食べ過ぎで、胃もたれ。二度目の用便。駒ヶ岳ロープウェイに乗るのは時間の都合で諦める。先年、箱根に来た妻と娘は義母と一緒に乗ったとのこと。
12時20分箱根園出発。12時40分過ぎ、大涌谷に到着。遮るものの何もない山肌を寒風が吹き荒ぶ。実際に帽子を飛ばされて追いかけているカップルがいた。顔は凍てつき、綺麗にそのほぼ全貌を見せている富士の写真を撮ろうとして手袋を外そうものなら、指先からみるみる温度が奪われていく。温泉に卵を漬けておくと黒玉子になるという。その黒玉子を硫黄を吹き上げている現地で食べようと山を登っていくこと約15分。ようやく玉子茶屋に着く。5個500円也。ハングルや中国語が飛び交う中、急いで皮を剥いて(これがしかし、かじかんだ手ではなかなか上手くできない)玉子を食べる。黄身に舌先があたって熱いのにくっついたままどうすることもできず火傷してしまう。はあ。味は普通のゆで玉子であるが、とにかく外が寒いので身体の中に暖かいものが入るのはうれしい幸せだ。富士の頂き近くに昨日見たのと同じような雲が湧いている。あれはこの時期にはいつも南側?(それとも東?)にできるのだろうか。それが強い風のせいで、東に(北に?)流れていく。さっきより、もっとはっきり見えている。そう思うたびに写真のシャッターを切って、切るごとにどんどん美しい山に見えてくる。ツアーの添乗員さんの話では、この時期の富士がいちばんよく(その全貌が)見えるのだそうである。三月になると少し霞みがちになり、夏などは月に一、二度くっきり見えればいい方である、そうな。そういえば太宰治富嶽百景』も(夏のそれを示す「青い頂」などという言葉も出てくるものの)秋の終わりから冬にかけての富士が中心になっていた。鼻の先を真っ赤にしてバスに戻る。
13時半、大涌谷を出発。途中二回の休憩を挟んで岐阜羽島駅に18時10分過ぎに到着。18時45分の集合時間までは自由時間となる。駅にある食堂で食券を買い、妻と娘はそれぞれお好みのうどん、私はビール、唐揚げ、土手焼き。鳥の唐揚げと称するものは、竜田揚げのようであり、土手焼きと称するものは、牛スジではなくテッチャンを煮たものであり、味噌も八丁味噌だろうか、とても赤かったたりした。19時01分発新大阪行きのこだまは669号。やはりグリーン車である。そこでもコンビニで調達した缶ビール大(プレミアムモルツ)とあれこれのおつまみをいただく。雅楽演奏家東儀秀樹がバイク事故で軽傷というニュースを車内テロップ掲示で知る。
妻はこの日も絶好調で、朝食のあと、あらぬ方向に歩を進めて、宿の人に「正しい」方向を教えられたり、コーヒーを飲むのをやめて私だけを残して先に帰ったはずなのに休憩所に引き戻してきて、部屋への「正しい」帰り方を教えてくれとせがんだり、昼食の釜飯が残ったのを人目も憚らずにビニル袋に詰め込み、バーテンダーよろしく中空で結び、二個のおむすびにしたのはいいが、その店を出た瞬間、玄関の提灯に頭突きをかまして見せたりしていたのだが、とどめは何と言っても、岐阜羽島駅のコンビニで、グリーン車では自由に持ち帰ることのできる雑誌をそれと気付かずに、わざわざお金を出して買ったことである。行きの車内での記憶が無意識にそうさせたのであろうか。我が家では、努力では得られない能力を天才と呼んでいる。何とも奇特な方である。最寄り駅からはタクシーで我が家に。21時前には帰り着いたと思う。こうして私たちの新年の家族旅行も「無事」終わったのであった。