来年度の

出向先から様々な問い合わせが来ている。まだ先とはいえ、いよいよの気分にもなる。年度末まで、ここでの仕事をしっかりこなさないといけない。雑用のせいにせず、もう少し身を入れて本務の準備などをするべきだろう。パソコンの前で無駄な時間を過ごしていることも多い気がする。


今日は来年度の分掌を決める会議日である。出ていく私は、とりあえず高みの見物であるが、さてどうなることやら。私は「禅譲」のようなことは好かないので、事前に「あと」の人を決めていない。せっかく投票で決めるルールがあるのだから、あれこれと策を弄するよりも、メンバー各自の判断の「集計」に従うのがいいのだ。そういえば私にしたところで、一回目の投票では過半数の票を得られず、二位の人と決選投票になって、やっと決まったのであった。それでも長は長である。


番頭なら、だれでも大番頭は務まる、というのが私の見解である。年齢は関係ない。しかし経験や知識は、逆に作用するときもある。コミュニケーション能力についても同様である。断るべきところは毅然と断らねばならない。これはむしろ、自分自身に言うのである。


授業中に阪神淡路大震災の話をした。うまく話せなかった。上手く話せてしまったら、ちょっと違うような気がした。しかし実感として東北は遠く、17年経っても阪神は近い。いくら経っても収まらない強い揺れに、もう潰れる、いま潰れる、助けて下さい、鎮まって下さい、お願いしますと、初めて「天に向かって」心からの祈りを捧げたあの日であった。妻は咄嗟に幼子に蒲団をかぶせ、その上に自分の身体を重ねて守った。その姿を見て、私も同じように妻に蒲団をかぶせてその上に身体を重ねて二人を守ろうとした。それ(こそが自分自身を守る計算?)が咄嗟にできたので、とりあえず妻とは別れずに済んだのである。