なかにし礼『長崎ぶらぶら節』

長崎に旅行に行こうと思っていて、長崎にちなんだものを読んでいる。この本の中に次のような言葉があって、ちょうど他のことで考えていたことと重なっていて、興味深く思ったので引いておく。
「古賀十二郎先生に心からなるお礼をのべたい。あなたのご忠告のとおり、私は今日から、この善頂村の苦難の歴史を思い出せるかぎり、また調べられるかぎり書き綴っていこうと決めました。苦しみは忘れることによって越えていくもんではなく、記録することによって克服していくもんだということを、これはユダヤの民がとっくに教えてくれていたことですばってん、あなたの言葉で今思い出しました。ありがとうございました。」単行本p184
ついでに歌にまつわるくだり二つも引用する。
「歌は、この世とあの世の掛け橋だと先生はおっしゃいましたが、まことにそうですねえ」
 愛八は、かつて古賀が言った言葉の意味が今やっと分ったような気がした。
「詩と音楽が一体となったもの、つまり歌は、人間と神との共同の創造物たい」
 古賀は、谷のむこうから流れてくる歌声にうっとりと聞き惚れながら言った。
「だから、歌ば歌っている時、人間は一番天に近づく。ああやって歌っている人の魂は、あの歌とともに、空高くパライソの国へ昇っていっているのだろう」単行本p173-174
「歌の不思議たい。歌は英語でエアー、フランス語でエール、イタリア語でアリア、ドイツ語でアーリア、ポルトガル語でアリア、つまり空気のことたい。歌は目に見えない精霊のごたるもんたい。大気をさ迷うていた長崎ぶらぶら節が今、うったちの胸の中に飛び込んできた。これをこんどうったちが吐きだせば、また誰かの胸の中に入り込む。その誰かが吐きだせば、また誰かの胸に忍びこむ。そうやって歌は永遠に空中に漂いつづける。これが歌の不思議でなくてなんであろう」単行本p197