ジャンゴ

@MOVIXココエあまがさき。


複雑な世界を複雑なままに愛したい。以前の「夫婦の会話」のエントリで僕が言いたかったことは、結局そういうことだったのかも知れません。でも、そんな実現困難な希求を抱えている人は、だからこそかえって娯楽の世界ではむしろ、白黒はっきりしたものを望んだりするんでしょうか。ケンブリッジ時代のルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインは、B級映画が、とりわけ西部劇が大好きだったと、どこかで読んだ覚えがあります。


1858年という年は、アメリカではまだリンカーンが大統領になってなくて、したがって南北戦争もまだ始まる前で、日本でいうと、井伊直弼大老になって、日米修好通商条約が締結された年。浮世絵師の歌川広重がこの年に亡くなっていて、清水の次郎長の子分、森の石松が実在の人物だとしたら、2年後には騙し討ちに遭って命を落とすことになります。江戸の牛込に夏目金之助が生まれるまで、まだあと9年。


ジャンゴ? 50代以上の人なら、この名前を聞いて懐かしく思い出した人も多いのでは。甘いマスクの優男ジュリアーノ・ジェンマなんかが活躍した60年代のマカロニ・ウエスタンと呼ばれたジャンルの、ある映画の主人公の名前。映画の題名もそうだったけど、邦題は『続・荒野の用心棒』(1966年、セルジオ・コルブッチ監督)。題名から充分察しがつくように、主人公は『用心棒』(1961年、黒澤明監督)の三船敏郎よろしく悪党どもにリンチを受け、でも最後にはきっちり復讐を果たすことになります。


元祖『ジャンゴ』の主役を演じたのは、G・ジェンマとは対照的に、非情が似合うシャープな面構えのフランコ・ネロ。嬉しいことに彼は本作にも「特別友情出演」をしています(緑色の瞳が美しいと記憶していたんですが、彼、年配になって少し灰色がかったブルーに変わったように見えました)。クエンティン・タランティーノが監督した本作では Unchained の語がくっついてます。演出はもちろん現代風ですが、音楽や画面の基本テイストは60年代70年代の郷愁ものです(涙)。


ダスティン・ホフマンが主演した『小さな巨人』(1970年)が先鞭をつけて、ケビン・コスナーが監督・主演した『ダンス・ウィズ・ウルブス』(1990年)が決定づけたように、アメリカの西部劇では、ネイティヴ・アメリカンについてはかなり以前から政治的に正しい視点で描かざるを得なくなってはいたんですが、こと黒人奴隷については、ここまで踏み込んだ描写はされてこなかったように思います。

Billy Crash: [after getting shot in the genitals] D-jango, you black son of a bitch!
Django: The "D" is silent, hillbilly.

この作品、(スプラッター・マニアが大喜びしそうなエグさを除けば)手放しで楽しめることは間違いないけど、ラストに至るまでは、白黒がそうはっきりしているわけではなくて、そのことはそれなりに長さを必要とした所以でもあるのかなと。単純に白は悪で、黒は善というわけにはいかない。娯楽とはいえ、そういう余儀なくされた複雑さを、ヴィトゲンシュタインならどう評価するでしょうか。ただ、終わりがすべてを決めるところがあります。カタルシスは得られます。見終わって、じつに爽快。

Django: Let's get out of here.

もちろん、僕たちがとっとと出て行くのは映画館であって、この世界ではありません。その点、マルクスはいいことを言ってます。

Der Mensch macht die Religion, die Religion macht nicht den Menschen.
(人間が宗教をつくるのであって、宗教が人間をつくるのではない。『ヘーゲル法哲学批判序説』)

たぶん宗教を映画と入れ替えても同じことでしょうね。忘れがちなことなので、自戒を込めてメモしときます。


さて、晩ご飯でも作りますか。


http://www.sonypictures.jp/movies/djangounchained/