『クラウド・アトラス』

目の前にドアがある。これまで誰も開けたことがないドアだ。
誰にも開けられそうにないドア。それをいったい誰が開けるのか。
いつかどこからかバットマンスパイダーマンが現れて...


いや、そうではないのだろう。
なぜなら、そのドアは君のためだけに用意されたドアだから。
君が開ける以外に誰も開けることはできないのだ。


扉を開き、一歩を踏み出せ!


こんな呼びかけをされた気がしました。
はい。昨日帰りに三宮で『クラウド・アトラス』(@国際会館松竹)を観てきました。賛否が分かれているらしい映画ですが、僕的にはかなりよかったです。


マトリックス』シリーズのウォシャウスキー姉弟(いつの間にか兄弟が姉弟になってたのね)と『パフューム ある人殺しの物語』のトム・ティクヴァが共同監督したということで大いに期待してたんだけど、その期待、裏切られませんでした。


時代も場所も異なるブツ切れの話が、脈絡もなく継ぎ合せてあるだけで、観ている者を置き去りにする、なんていう酷い評も見ちゃったから、ちょっと観るのが怖かったけど、大丈夫。ちゃんとつながっていました。ていうか、これほどわかりやすい映画的つなぎはないほど。


たぶんこの映画は、椅子に座って提供されたものを黙って受け取って、しみじみ感じ入るような作品じゃなくて、自ら積極的に参加して、映画と協働しながら自分なりの解釈を作り上げるタイプの作品ですね。


投稿された映像作品をwebで楽しむ人々が増えた時代の映画のあり方の一つでしょうか。もっとも、正反対のつくり方に見える『愛、ラムール』(ミヒャエル・ハネケ監督)のような作品だって、やっぱりこちらの能動性を前提にしていますけどね。


以下は、原作は読んでないので、あくまでも映画を観ての感想です。


まず、時代も場所も異なる六つの話を一つの物語として理解しようとするから、話がややこしくなる。つながっているのは、あくまでも画面(や演じている俳優)であって、だからストーリーじゃなくてテーマのほうかも。


画面では、これみよがしに別の人物にある同じ形のアザをアップにして強調したりするのですが、それぞれの世界は(同じ時間に)並行して進んでいる別世界と考えても、いいんじゃないかと...。


それぞれの時代のある場面が選択的に切り取られ、描写されることで浮かび上がるテーマ。それらが組み合わさって、一本の映画としての主題が構成されます。


たとえばそれは、家族愛であったり、師弟の愛憎であったり、金銭・名誉・権力への欲望であったり、社会的弱者やマイノリティ(幼児・病者・奴隷・移民・老人・同性愛者など)の擁護であったり。


基本的には娯楽を提供している映像に埋め込まれた自由への希求、社会的正義を求める姿勢、人類や地球環境への愛といったもの(これらはたまたま僕が感じたというだけですが)を自分なりに読み解くのが楽しい映画です。


それから、だれがどの役を演じているのか。それを見破るのもこの映画の楽しみの一つです。エンド・ロールで種明かしがされます。僕的には、西洋人俳優が、これだけ発達したメイクの技術をもってしても?全然東洋人には見えないところが笑えました。


きっと西洋人には、東洋人の顔がこんなふうに見えてるというか、わざとキッチュな顔に仕立てて、自分たちのオリエンタリズムを目に見える形にして自ら揶揄して(あるいは楽しんで)いるのでしょう。混血が進んだ未来にはこういう顔がふつうに見られるのかも、ですが、あまりにも同じような顔なんだもんね。


あと、音楽もいいし、アクション・シーンにもこれまでのいろんな映画へのオマージュがあって、それも楽しめる映画でした。


http://wwws.warnerbros.co.jp/cloudatlas/index.html