『ザ・マスター』

を観たのですが、その直後には自分が何を見てどう感じたのかをうまく表現できそうにありませんでした。
これまでにあまり観たことがない映画だったからです。
そのモヤモヤのようなものが、ようやくかたちになりそうなので、以下に記してみようと思います。


宗教団体のマスターであるドッド(フィリップ・シーモア・ホフマン)とアル中で元海軍兵士のフレディ(ホアキン・フェニックス)。
互いを求め合う二つの魂が、やむを得ない事情のために、必然的に別れを余儀なくされてしまう...
この映画がそういう作品なのだとしたら、たぶん失敗作ということになるだろう。


しかしこの映画、実はそうした出会いと別れの映画ではないのかも知れない。


求め合う魂の描写が、バクダンのような怪しい酒を酌み交わしたり、拘置所帰りの再会にハグをしたまま芝生の上を転がったりするだけでは、あまりに物足りない。
第一、なぜ肝心の二人の出会いのシーンが(ドッドの台詞として語られるだけで映像としては)ないのか。
いや、出会いだけではない、彼らの最後の別れの場面も映像としてはこの映画では割愛されているのだ。


では、いったいどういう映画なのか。
よく似た魂の出会いそこね、すれ違いを描いた映画かも、と思ったり。
(フレディと恋人ドリスとの出会いと別れの場面は描かれている。彼女との再会は設定されておらず、代わりにと言ってはなんだが、結婚した彼女がドリス・デイという有名女優と同じ名前になってしまったというギャグのようなアンチロマンティックな挿話がある。)

この映画を見ながら、僕の頭にぼんやり浮かんでいたのは、たとえば次のようなニーチェの言葉だ。

人間が自分自身との和解に達すること、この一事のみが肝心なのだ。−−それはどんな文学や芸術によってであってもよい。そうしてこそ、人間ははじめて見るに堪えるものとなる! 自分自身と不和である者は、いつでも復讐の機を窺っている。われわれ他人はその犠牲となるだろう。(『喜ばしき知恵』)

私の弟子たちの典型。−−私と何らかのかかわりを持つ人間たちには、私は、彼らが苦悩を受け、見捨てられ、病気となり、虐待され、辱められることを希望する、−−私の望むところは、彼らも深い自己軽蔑をおのれに対する不信の苦悶を、超克された者の悲惨を知らずに済ますことのないように、ということである。(『力への意志』)


しかしとにもかくにも、この映画は個人の自由を謳いあげる作品になっている。もちろん、その自由は、絶対的な孤独が前提になっているものなのだが。
それでも他者との(妥協的・服従的な)連帯よりも、自分の、自己自身の自由のほうが全然大切である、というメッセージは容易に伝わってくる。
不必要にも見える最後に置かれた女との情交のシーンも、その意味で外せない重要な挿話なのだろう。


ドッドとフレディは、たしかに互いが互いの鏡像であるかのように似ている。
知性と野性は二人共にもっている。だが見かけとは逆に、野獣的なのは実はドッドであり、真に知性的なのはフレディのほうなのだろう。
分かり合える者が、この地球上にたった一人しかいない者同士。


フレディの孤独が、まるで自分のもののように解るだけに、彼を救ってやりたい、救わねばならないと思うドッド。
ドッドのいやらしさ卑小さが、まるで自分のもののように解るだけに、彼に包まれたくない、従いたくないと抗うフレディ。


そしてこの映画で大切にされているのが、世界を捉えたつもりになった言葉ではなく、新しい世界を切り開こうとする行動であるということも、メッセージとして僕は受け取った。
「inform よりも perform」。って、これは川田順造氏の言葉だったか。
それでもやっぱり、もういちどニーチェを読んでおきたい。

人間の目的を決定しようとする限り、人間の概念が前提とされる。しかし、存在するのは個人だけである。そして、現在までに知られた個人から人間の概念を得るためには、個人性を捨象しなければならない、−−したがって、人間の目的を設定することは、個人が個人化することを妨げることであり、個人に一般的になれと命ずることである。個人というものは、むしろ逆に、人間よりも高い種族に到達するための、しかももっとも個人的な手段を用いての試みではないのか。私の道徳は、人間からその一般的性格を徐々に奪い、人間を特殊化することであり、或る程度まで、或る人間を他の人間にとって不可解なものにすることである(そして、そのことによって体験や驚嘆や学びの対象にすることである)。(『残された断想』)


「人間らしく」ではなく、あくまでも「個人らしく」あること。
この作品に簡単には共感しにくいのは、この映画からロマン主義的なものが丁寧に排除されているということもあるのかもしれない。そう思ったりもしました。


@シネ・リーブル神戸。
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