『先祖になる』

(@第七藝術劇場)を観た。ドキュメンタリー映画だ。


老人に元気があって、それには氏神信仰という宗教的背景があって、きっと田舎にも可能性はある。
でも心から敬意を表したいと思ったのは、否応なしに他人を巻き込んでしまう佐藤直志という人の個性の魅力、個人の力だな。
その存在自体が贈与のレベル。


田舎イコール前近代ではなく、そこにこそ個人の力があるのだと思い知った。
別居することになった奥さんも、長男(は地元消防団員としての務めを果たし、津波で亡くなっている)のお嫁さんも、佐藤直志に負けないくらいに自立している個人だ。


監督の舞台あいさつに立ち会えたのは望外の喜びだったが、その言葉は流暢に過ぎて、内容もやや型にはまった感じがして軽さを感じた。
二人の別居を含めて奥さん(日舞やお茶お花の先生をしていて経済的にも自立している)を肯定的に評価していたのには共感した。


古いもの、私たちが忘れ去ろうとしているものにも、確かに可能性はあるが、監督にノスタルジー的な視線・思いが強い気がした。
映画は監督の短い時間の言葉をはるかに凌駕していて、語り以上のものを語っていて力がある。
蛇足ながら、演出が垣間見える最後のシーンはいただけない。